聖地エルサレム滞在記
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「キッパ(KIPPA)」
ユダヤ教徒の男性が頭につけている小さな帽子のことです。
小さいので、落ちないように髪の毛にクリップで留めています。
髪の毛の無い人はどうするんだろう・・・。
もう少し大きめの帽子もあるので、髪の毛の無い人は大きめの帽子をすっぽりと被っているのでしょう・・・、たぶん。
キッパと一言で言っても、色んなキッパがあります。
民族衣装ですが、店頭では色々とオシャレな模様のものが売られています。
宗教的な感じではなくて、帽子のような感覚で気軽に付けている人もいるんでしょうね。
ユダヤ教徒のたくさんいる西エルサレムを歩くと、キッパ専門店を結構見かけます。
キッパ専門店のチェーン店もあります。
その名も「キッパマン」!(笑)
なんとも単純なネーミングだ・・・。
なんかこの展示を見ていると、7月に行ったオマーンで見た「オマーン帽」を思い出してしまいました。
今回こそは、一個買っとこうかな。
別に使う予定はありませんが・・・。
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by yabani2
| 2008-11-17 02:09
| エルサレムの日常
この写真は普通のカフェで撮ったものです。
エルサレムにいると、このような光景に良く出くわすのですが(テルアビブや他の町でもそうかもしれません)・・・、
え?別に普通のカップルじゃないの?と思ったアナタ。
男性の持っているものを、良~く見てください。
なんと、マシンガンを持っているのです!
カフェやレストランに行っても、旧市街を歩いていても、観光名所をブラブラしていても、とにかく良く軍人を見ます。
とっても普通にそこらへんにいます。
暴発したらどうする?とか考えていると、普通に生活していられません。
こうやって見ていると、彼氏や彼女、友人たちと人生を楽しむ普通の若者たちです。
でもチェックポイントなんかでパレスチナ人と対峙すると、武器も持たない子供相手に銃をぶっ放してしまう恐ろしい兵士になってしまいます。
話をしてみると、意外と日本好きな若者だったりします。
イスラエル/パレスチナのなんだか異常な日常です・・・。
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by yabani2
| 2008-11-12 06:26
| エルサレムの日常
エルサレムの旧市街。
イエメンの旧市街と同じくらい歴史がありますが、色々と改装がなされているのか、結構こぎれいな感じがします。
ちなみに、ここはユダヤ教徒地区。
旧市街の中にはユダヤ教徒地区、イスラム教徒地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区がありますが、どんどんユダヤ人街が拡大していると言います。
これは、前にも書いたようなイスラエル側による強制的な没収に加え、きちんとお金で土地を買い進めているという事実もあるようです。
ユダヤ教徒地区には、このように黒い正装をした人たちを多く見かけます。
しかし、いちいち出かける時はこんな格好をしないといけないのでしょうかね。
ジーンズ履いたりとか、軽装はしないんでしょうかね。
これはキリスト教徒地区。
かの有名なビア・ドロローサ(悲しみの道)で撮った写真です。
ちなみに、キリスト教徒地区を歩いていても、別にみんながこのような格好をしているわけではないです。
この人は、たぶん大司教とかなんかそういう偉い地位に就いている人だと思います。
ビア・ドロローサとは、約2000年前にイエス・キリストが死刑判決を受けた後に、ゴルゴダの丘まで十字架を背負わされて歩いたという道です。
今は観光客で溢れて世俗的な雰囲気がプンプンしているので、なんかそんなすごい歴史的なことが起こった場所だとはすぐにはピンと来ません。
こちらはイスラム教徒地区で撮った、ファラーフェルを作っているおじさん。
ダマスカス門から旧市街へ入った辺り一帯がイスラム教徒地区となっています。
なんだかこの辺りが一番落ち着くのは気のせいでしょうか(笑)。
イエメンの旧市街にも似ていて親しみが沸きます。
あら、何か見覚えのあるものが・・・!
イエメンで見たのと同じようなアザーンクロックが、道端の屋台に転がっていました(笑)。
このディスプレイ感覚が何ともアラブ。
こういうのは、キリスト教徒地区やユダヤ教徒地区では絶対に見かけません。
まあ、そこに親しみが沸くわけですが・・・。
イエメンの旧市街と同じくらい歴史がありますが、色々と改装がなされているのか、結構こぎれいな感じがします。
ちなみに、ここはユダヤ教徒地区。
旧市街の中にはユダヤ教徒地区、イスラム教徒地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区がありますが、どんどんユダヤ人街が拡大していると言います。
これは、前にも書いたようなイスラエル側による強制的な没収に加え、きちんとお金で土地を買い進めているという事実もあるようです。
ユダヤ教徒地区には、このように黒い正装をした人たちを多く見かけます。
しかし、いちいち出かける時はこんな格好をしないといけないのでしょうかね。
ジーンズ履いたりとか、軽装はしないんでしょうかね。
これはキリスト教徒地区。
かの有名なビア・ドロローサ(悲しみの道)で撮った写真です。
ちなみに、キリスト教徒地区を歩いていても、別にみんながこのような格好をしているわけではないです。
この人は、たぶん大司教とかなんかそういう偉い地位に就いている人だと思います。
ビア・ドロローサとは、約2000年前にイエス・キリストが死刑判決を受けた後に、ゴルゴダの丘まで十字架を背負わされて歩いたという道です。
今は観光客で溢れて世俗的な雰囲気がプンプンしているので、なんかそんなすごい歴史的なことが起こった場所だとはすぐにはピンと来ません。
こちらはイスラム教徒地区で撮った、ファラーフェルを作っているおじさん。
ダマスカス門から旧市街へ入った辺り一帯がイスラム教徒地区となっています。
なんだかこの辺りが一番落ち着くのは気のせいでしょうか(笑)。
イエメンの旧市街にも似ていて親しみが沸きます。
あら、何か見覚えのあるものが・・・!
イエメンで見たのと同じようなアザーンクロックが、道端の屋台に転がっていました(笑)。
このディスプレイ感覚が何ともアラブ。
こういうのは、キリスト教徒地区やユダヤ教徒地区では絶対に見かけません。
まあ、そこに親しみが沸くわけですが・・・。
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by yabani2
| 2008-11-08 19:47
| エルサレムの日常
先日、アメリカ人の友人と一緒に夜の旧市街へ繰り出しました。
旧市街と言うものは、夜になると独特の雰囲気をかもし出します。
イエメン・サナアの旧市街でも、昼と夜では全く別の顔を見せてくれます。
この豆球の明かりが茶色っぽい建物や石畳に映えるんでしょうね。
イスラエル軍によるセキュリティ・チェックを抜けると、そこにはユダヤ教の聖地である「嘆きの壁(別名:西の壁)」が姿を現します。
土曜日の夜に行ったので、ものすごい人だかりでした。
金曜日の夕暮れから土曜日の夕暮れまでは、ユダヤ教徒の安息日。
その安息日明けの土曜日の夜は、レストランもショッピングモールも、どこもかしこも人でいっぱいになるのです。
みんなユダヤ教の経典を読みながら必至に祈って(嘆いて?)います。
いつもながら、こういうところで旅行者然として写真をパシャパシャ撮るのって苦手なんですよね、なんか「このふとどき者!」って怒られそうで・・・。
あ、ちなみに金曜の夜から土曜日の夕方にかけて(つまりユダヤ教徒の安息日の間)は、ここで写真を撮るとマジで怒られます。
安息日の間は一切の労働を禁じられていますので、「カメラのボタンを押す=労働」なので禁じられています。
なので、金曜の夜から土曜日のお昼にかけて観光に行っても、ここでは一切写真を取ることができませんので(ちゃんと見張ってる人がいます)、もしエルサレム滞在が1日しか無いというような人は気をつけましょう。
そうこうしているうちに、なんか騒がしい団体が入ってきたと思ったら、壁から少し離れたところでいきなり輪になって踊り始めました。
ユダヤ教徒が輪になって踊ると言えば「マイムマイム」。
あれってユダヤ教徒の踊り(イスラエルの民族舞踊?)なんですよね。
小学校の時にフォークダンスとともに良くやった記憶があります。
ついでにイエメンのジャンビーヤダンスも思い出しましたが・・・。
もう一つ物珍しいのが、彼らの格好ですよね。
色んなパターンの人がいますが、基本的に白シャツ以外は全て黒でコーディネートされています。
黒のスーツ姿に帽子の人、黒いコートを着た上にえらいでっかい帽子を被ってる人、もみ上げをビロンビロンさせている人。
敬虔なユダヤ教徒は、一生もみ上げを切らないそうです。
なんでだろう・・・?
この壁の周辺は、今はきれいに何も無くだだっ広い空間になっていますが、1967年にイスラエルがここを占領する以前はアラブ人たちの家や商店があったのです。
それらの建物数百件をなぎ倒して、そこに住んでいたアラブ人たちを別の場所に強制移住させて、このような広大な空間を作り出したのです。
2000年以上も前の遺跡を立派な聖地に仕上げるために、そこに住んでいたアラブ人たちの生活を破壊する・・・、一体全体どちらを嘆くべきなのでしょうか。
旧市街と言うものは、夜になると独特の雰囲気をかもし出します。
イエメン・サナアの旧市街でも、昼と夜では全く別の顔を見せてくれます。
この豆球の明かりが茶色っぽい建物や石畳に映えるんでしょうね。
イスラエル軍によるセキュリティ・チェックを抜けると、そこにはユダヤ教の聖地である「嘆きの壁(別名:西の壁)」が姿を現します。
土曜日の夜に行ったので、ものすごい人だかりでした。
金曜日の夕暮れから土曜日の夕暮れまでは、ユダヤ教徒の安息日。
その安息日明けの土曜日の夜は、レストランもショッピングモールも、どこもかしこも人でいっぱいになるのです。
みんなユダヤ教の経典を読みながら必至に祈って(嘆いて?)います。
いつもながら、こういうところで旅行者然として写真をパシャパシャ撮るのって苦手なんですよね、なんか「このふとどき者!」って怒られそうで・・・。
あ、ちなみに金曜の夜から土曜日の夕方にかけて(つまりユダヤ教徒の安息日の間)は、ここで写真を撮るとマジで怒られます。
安息日の間は一切の労働を禁じられていますので、「カメラのボタンを押す=労働」なので禁じられています。
なので、金曜の夜から土曜日のお昼にかけて観光に行っても、ここでは一切写真を取ることができませんので(ちゃんと見張ってる人がいます)、もしエルサレム滞在が1日しか無いというような人は気をつけましょう。
そうこうしているうちに、なんか騒がしい団体が入ってきたと思ったら、壁から少し離れたところでいきなり輪になって踊り始めました。
ユダヤ教徒が輪になって踊ると言えば「マイムマイム」。
あれってユダヤ教徒の踊り(イスラエルの民族舞踊?)なんですよね。
小学校の時にフォークダンスとともに良くやった記憶があります。
ついでにイエメンのジャンビーヤダンスも思い出しましたが・・・。
もう一つ物珍しいのが、彼らの格好ですよね。
色んなパターンの人がいますが、基本的に白シャツ以外は全て黒でコーディネートされています。
黒のスーツ姿に帽子の人、黒いコートを着た上にえらいでっかい帽子を被ってる人、もみ上げをビロンビロンさせている人。
敬虔なユダヤ教徒は、一生もみ上げを切らないそうです。
なんでだろう・・・?
この壁の周辺は、今はきれいに何も無くだだっ広い空間になっていますが、1967年にイスラエルがここを占領する以前はアラブ人たちの家や商店があったのです。
それらの建物数百件をなぎ倒して、そこに住んでいたアラブ人たちを別の場所に強制移住させて、このような広大な空間を作り出したのです。
2000年以上も前の遺跡を立派な聖地に仕上げるために、そこに住んでいたアラブ人たちの生活を破壊する・・・、一体全体どちらを嘆くべきなのでしょうか。
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by yabani2
| 2008-11-02 08:52
| エルサレムの日常
エルサレムに到着して約1ヶ月。
ようやく自分のアパートに入ることができました♪
とは言え、これまで住ませてもらっていた同僚宅は、職場から徒歩3分。
今の自分のアパートは、混雑していない時で職場まで車で約10~15分の距離。
朝の混雑時には、30分ぐらいかかってしまいます・・・。
なのでこちらに越してきて以来、これまでより早起きしています。
エルサレムの車の運転は、イエメンに比べれば天国です。
みんな自分のレーンを走っているし、信号もきちんと守ります(基準が低いですね・・・)。
イエメンで車を運転している時のストレスの半分以下のストレスで、快適に走ることが出来ます。
インターネットもようやく繋がりましたので、これからはもう少しきちんと更新しますね。
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by yabani2
| 2008-10-29 07:15
| エルサレムの日常